※本記事にはプロモーションが含まれています。
こんにちは、管理人の火沢火洋です。

皆さんは「神田明神」を訪れたことはありますか?
天平2年(730)の創建で、「江戸の総鎮守」と称えられてきた古社。ご祭神として「平将門の乱」で有名な関東の覇者、平将門を祀る神社です

実は筆者、神田明神とはちょっとしたご縁があり、年に数回参拝しています
そこで本記事では、神仏研究家の桜井識子さんの著書『神さまと繋がる神社仏閣めぐり』を参考に都心にある神田明神について紹介します。
神田明神とは

神田明神の正式名称は「神田神社」。
東京都千代田区にあり、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内・旧神田市場・豊洲魚市場・108町会の氏神として「明神さま」の名で親しまれてます

地震や噴火、飢饉や疫病、火事や戦乱といった幾多の災禍を経験。
神田明神を信仰する人々の尽力によって、歴史と文化を守り継いできた由緒正しき神社です。


神田明神のご祭神は、大己貴命・少彦名命・平将門命の三柱。
社伝によると、神田明神は天平2年(730)、出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)によって武蔵国豊島郡芝崎村(現在の大手町にある将門塚周辺)に創建されました。

その後、将門塚周辺で天変地異が頻発
将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が将門公の御霊をお慰めし、延慶2年(1309)に神田明神に奉祀されたそうです。

戦国時代になると太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将が手厚く崇敬。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起きた際、徳川家康公が合戦に臨むにあたり、神田明神で戦勝のご祈祷を行いました。

すると9月15日、神田祭の日に見事に勝利して天下統一を達成。
以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

江戸幕府が開かれると神田明神は幕府の尊崇神社に選ばれます。
元和2年(1616)には江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地(東京都千代田区)に遷座し、幕府が社殿を造営。
江戸時代を通じ「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ庶民にいたるまで篤い崇敬を受けました。

明治時代に入ってから、社名を「神田明神」から「神田神社」に改称。
東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に制定されます。
明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が参拝して御幣物を献じられました。
大正12年(1923)の関東大震災によって、江戸時代後期を代表する社殿が焼失したものの、昭和9年に鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建。

第二次世界大戦時には東京が空襲によって焼け野原となる一方、神田明神でも多くの建造物が消失したものの、社殿はわずかな損傷で戦災を耐えぬきました。
以降、結婚式場や明神会館などの建造物が復活。昭和51年には檜木造の隨神門も再建され、江戸時代に負けない神田明神の姿を取り戻しました。

ホームページによると、神田明神は創建から1300年目を迎える令和12年(2030)に向けて、「文化の鼓動を生む」を合言葉に「創建1300年記念事業」を展開。
原点回帰として、創建の地である大手町の将門塚の改修工事を図ったそうです。創建千三百年奉祝の年に先立ち、平成30年12月には文化交流館をオープンしました。
一階部分に神札所と昇殿参拝受付があるほか、神田明神のお土産ショップも併設。地下には天然石を取り扱うお店もあるなど、観光地としても人気があります。
ビジネス街に位置しているため、商売繁昌・社運隆昌祈願等で法人の祈祷が多いのも特徴。都心のビジネスマンが集団で参拝したり、祈祷を受けたりする光景をよく目にします。

JRや東京メトロの各駅から徒歩数分の距離とアクセスも至便。
境内は都心にあると思えないほど広く、摂社末社も数多く祀られているなど見所満載の神社です。

参拝に関するプチ情報
筆者は神田明神を何度も参拝していますが、いつ訪れても沢山の人がいます。


丁寧にご挨拶をしたい方、祝詞を奏上したい方はタイミングがキモ。
混雑時の神様へのご挨拶は願掛けのみに留めて、自己紹介や願掛けに関する詳しい話は参列の時や参拝を終えた後にするのがおすすめです。
幸い、境内には文化交流館の手前にベンチが設置されており、ご挨拶を終えた後の流れでそのまま座ることができます。


社殿がすぐ目の前にあるので、神様に意識を向けるにはもってこいの場所。
以前に参拝した際、このベンチで休んでいたら、歓迎のサインか境内を鳥がビューンと飛んできて座っている私の目の前を通りすぎていったことがありました。

思わず嬉しくなったのを覚えています
ちなみに識子さん曰く、神様の波動を浴びたいのなら境内の獅子山がおすすめ。

絶えず流れている噴水の水にご祭神である将門公の波動が入っているため、しぶきを浴びるだけで良い効果があるそうです。
桜井識子さんと平将門公の関係
実は神田明神は、識子さんの著書やブログにたびたび登場。

平将門公を「将門さん」と呼び、神仏に関する様々な助言をもらっています
著書の中で語っていますが、識子さん自身は歴史にあまり詳しくなく、当初は将門公のことも一武将くらいにしか捉えていなかったそうです。
しかしながら、読者の方から「平将門怨霊説」について質問があったのを機に、神田明神を訪れることになりました。
将門公を探して所縁の地を探訪

識子さんは神様である将門公ご本人に話を伺うべく、様々な地を探訪。
神田明神はもろちん、都内の首塚や茨城県にある平将門所縁の國王神社、胴塚のある神田山延命院を訪れるなど、識子さんの入れ込みようにはただならぬものがありました。
訪れてはいけない場所(終焉の地とされる北山稲荷大明神※)にも足を踏み入れそうになり、将門さんから止められたエピソードが『神さまと繋がる神社仏閣めぐり』の中で紹介されています。
※北山稲荷大明神に関する情報
識子さんが取材した当時は、参拝者は誰も来ないような荒れた状態だったそうです。下っ端の眷属は神獣から格が下がっている可能性があるかも…と著書の中で述べていました。
なおGooglemapの口コミによると、その後は地元の男性が綺麗に手入れをし、参拝できるまでに回復したそうです。
しかし神社の維持が難しいためか、2025年の年末にはお稲荷様にお帰りいただくための神事が執り行われ、市内の八坂神社へお社を納めしたと書かれていました。
将門公へ神田明神に戻るよう説得
実は識子さんが初めて神田明神を訪れた時、将門公は没後千年以上が経過していたにも関わらず、神様になっていなかったそうです。

神田明神に常駐せず、國王神社や筑土神社を行ったり来たり…
ちなみに当時の神田明神では、境内にある噴水(獅子山)の岩の上の獅子に宿っていたというのだから驚きです。
識子さん曰く、将門公がなぜ頑なにご祭神となるのを拒んでいたのかというと、実はご祭神から外された経緯があるから。
Wikipediaによると、明治時代に天皇親政が確立され、平安時代の朝敵(逆賊)である平将門公は政府から敵視されて神田明神の主祭神から外されました(明治4年〜昭和59年)。
本来は桓武天皇の血を引く血統なのですが、自らを「新皇」と称して天皇の権威に挑戦したため、朝廷の敵とみなされていたのです。
明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、「天皇が参拝する神社に逆臣の平将門が祀られているのはあるまじきこと」とされ、平将門公は摂社・将門神社に遷座。

代わりに、茨城県の大洗磯前神社から少彦名命をご祭神として勧請しました
その後、氏子たちの努力により祀り続けられ、1984年(昭和59年)再び「三の宮」として神田明神の本殿に復座。
しかし将門公本人は、武士としての矜持で「おめおめと戻れるか」という心情。神田明神の社殿に常駐せず、宙ぶらりんの状態だったと識子さんは著書の中で述べています。
『神さまと繋がる神社仏閣めぐり』では、そんな将門公に対して、識子さんが神田明神のご祭神に戻るよう説得した際の様子が描かれていました。
結果的には神田明神のご祭神たちに頭を下げて神田明神に復座。現在は修行を終えて立派な神様になっているそうです。
神田明神が夜でも参拝できる理由

ちなみに神田明神は夜でも参拝できる神社として有名。
ビジネス街が近く、仕事帰りのサラリーマンでも参拝できるように配慮されています。
識子さんによると、これは将門公が自分を信仰する人々のため、夜でも社殿に居て参拝者の願いを聞いているからだそうです。

神田明神にいる他の神様は社殿の空間から居なくなっているのだとか…。
完全に窓口を閉じて存在を消している、その様な感じだと識子さんは述べていました。
識子さん曰く、将門さんはひとり社殿の上の空間にどっしりと座ってあぐらをかいた状態。腕組みしながら参拝に来る人を見ているそうです。

特筆すべきは、将門公の服装。
夜の神田明神での将門公は黒い服を着用。神様は黒が苦手なため、ありえないお召し物に識子さんもびっくりしたのだとか…。
その理由を将門公に聞いたところ、「闇の影響を受けないようにしている」との回答。
夜の闇は神様に影響を与え、エネルギーを消耗してしまうそうです。黒い服を着ていれば、その影響を緩和できるのだとか…。
つまり将門公は神様にとって苦手な「黒色」の服を着てまで、夜の社殿で参拝者のために願いを聞いている…というのが、夜の神田明神なのだそうです。

なお神田明神のホームページでは境内の混雑状況をライブカメラで拝見可能
一般的な神社では夜の参拝は基本NGですが、夜の時間しか参拝できない方に神田明神はピッタリ。
残業で帰りが遅い方、仕事の都合で日中お休みをされている方におすすめの神社です。
まとめ
以上、都心の一等地に鎮座する神田明神について紹介しました。

神田明神は、平将門公を祀った江戸の雰囲気が漂う由緒ある神社。
まだ参拝したことのない方はぜひ一度足を運んでみることをおすすめします。
なお、本記事で掲載した将門公に関するお話は、神仏研究家である桜井識子さんの著書『神さまと繋がる神社仏閣めぐり』を参考にしました。
詳細が気になる方は本書を読んでみてください。
\識子さんが解説!平将門怨霊説の真相とは?/
神さまと繋がる神社仏閣めぐり 神仏がくれるさりげないサイン (ひっそりとスピリチュアルしています) [ 桜井 識子 ] 価格:1760円 |
\スピリチュアル資格を豊富に扱う通信講座/

