
こんにちは、管理人の火沢火洋です。
皆さんは「神様に願掛けをしたけど、なかなか叶わない…」という経験はありませんか?
実は参拝者が多い神社ほど、神様が多忙だったり、眷属の手が回りきらなかったりして願掛けが叶わないことがあります。
願掛け内容によっては、他の参拝者より後回しにされたり、スルーされてしまったりすることも…

そこで本記事では、願い事が必ず一つは叶うという赤坂氷川神社を紹介。
神仏研究家で人気ブロガーの桜井識子さんの著書『東京でひっそりスピリチュアル』を参考に、筆者の参拝体験もふまえて解説します。
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赤坂氷川神社とは

赤坂氷川神社は名前のとおり、東京都港区赤坂に鎮座するお社。

創建一千年余の歴史をもち、「厄除」「縁結び」の信仰が篤い神社です。

徳川吉宗公※によって建てられた社殿は、幾多の震災・戦災を免れて建立当時のままの姿を維持。
昭和51年(1976年)に、東京都の有形文化財(建築物)に指定されました。

都心とは思えない緑豊かな境内には、江戸の年号が刻まれた鳥居や狛犬、灯籠などが現存し、江戸の情景を色濃く残した珍しい神社です。

「氷川」と名のつく神社は全国に約280社ありますが、名称の由来は出雲国の簸川(現在の島根県斐伊川)。
簸川の上流は、氷川神社のご祭神である素盞嗚尊の「八岐大蛇退治」の舞台だからです。

なお、赤坂氷川神社の創祀は天暦5年(951年)。
東国を遊行していた蓮林僧正が、一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かした際、夢の中で御祭神のお告げを聞き、この地に氷川明神の社殿を建ててお祀りしたことに始まります。
それより100年後の治暦2年(1066年)の夏、関東一円に大きな旱魃(かんばつ)が起き、苦しむ村人たちが赤坂氷川神社に雨乞いを祈願。

すると、たちまち雨が降りはじめ川ができたそうです。
以来、頻繁に神事が行われるようになりました。
時代は流れて江戸中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神への幕府の尊信が高まります。
享保14年(1729年)、吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営。翌15年(1730年)に一ツ木村から現在地へ遷座が行われ、吉宗公直々にご参拝しました。

以後、14代将軍家茂公まで、歴代将軍の朱印状が下付されるなど、「厄除」「縁結び」の鎮守神としてご神徳を高めてきた歴史があります。

明治元年には、天皇より東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に制定
現在は「東京十社」の一社にも数えられています
※徳川吉宗公を祀る上野東照宮の記事はこちら
赤坂氷川神社のご祭神

赤坂氷川神社のホームページによると、ご祭神は以下の三柱です。
<赤坂氷川神社のご祭神>
・素盞嗚尊(すさのおのみこと)
・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
・大己貴命(おおなむぢのみこと)
素盞嗚尊は、伊勢の神宮で祀られる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神。

日本神話で八つの頭と尾を持つ八岐の大蛇を退治したことで有名です。
その際に得た神剣・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、三種の神器の一つ「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」だと伝えられています。
奇稲田姫命は「稲の稔る田」の象徴とされる豊穣を司る神様です。

八岐の大蛇の生贄だったところを素盞嗚尊に助け出され、のちに結婚。
その後、素盞嗚尊と奇稲田姫命は、島根県の出雲に宮殿を造りました。
この時に素盞嗚尊が詠んだ詩「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠み(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」は和歌の起源とされています。
大己貴命は別名、大国主命(おおくにぬしのみこと)。

素盞嗚尊と奇稲田姫命の子孫で、出雲大社の御祭神と同じ神様です。
穀物の神様である少彦名命(すくなびこなのみこと)と一緒に豊かな国づくりを進め、農業・漁業・医療・殖産などで数多くの知恵を授けたことでも知られています。
赤坂氷川神社のご利益

赤坂氷川神社の主なご利益は以下のとおりです。
<赤坂氷川神社の主なご利益>
・厄除
・縁結び
・家内安全
・商売繁昌
八岐大蛇を退治した素盞嗚尊をお祀りしていることから、古来より「厄除」の御神徳ありと伝えられる赤坂氷川神社。
なお、素盞嗚尊の御神名の「すさ」は「すさぶ(荒ぶる)」の意で、穢れ・災い・災厄など悪しきことを荒々しい力で祓い清める力があることを表しているそうです。

素盞嗚尊と奇稲田姫命の夫婦神を祀るため「縁結び」の神社としても有名
また、大己貴命はあらゆる「むすび」の神様で、男女のご縁はもちろん、友人や仕事、子宝など様々なご縁を結ぶといわれています。
勝海舟ゆかりの社 四合稲荷

赤坂氷川神社には境内社がいくつかありますが、そのうちの一つに勝海舟ゆかりの四合稲荷(しあわせいなり)があります。
案内板によると四合稲荷という名称は、明治31年(1898年)に赤坂氷川神社の近くに鎮座していた古呂故稲荷、地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の4社を合祀したことに由来。

幕末の志士である勝海舟によって「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけて、四合稲荷(しあわせいなり)と名付けられたそうです。

四合稲荷のご利益は「五穀豊穣」と「商売繁盛」。
幕末や歴史がお好きな方は、四合稲荷も参拝してみることをおすすめします。
桜井識子さんが見た神様

上記のご祭神とご利益に関するお話は、赤坂氷川神社のホームページに掲載されている内容です。
神仏研究家で霊能力者の桜井識子さんによると、赤坂氷川神社を参拝した際に見えたのは、優しいおじいさんのような神様。

何でも気軽に聞ける親近感があり、雰囲気は好々爺だそうです。
実際に筆者が参拝した際、境内は緑が鬱蒼としていてやや暗い印象だったのですが、その一方でやわらかくて温かいご神気を感じました。

これも親しみの持てる赤坂氷川神社の神様の氣なのかもしれません。
ちなみに優しそうな神様ですが、真の姿は「風神」のようで、神風をぶぉーっと吹かせて願いを叶えてくれるのだとか…。
識子さん曰く、一見すると強そうには見えないけど、相当な実力をもつ神様だそうです。
願いを一つ必ず叶えてくれる

識子さんによると、赤坂氷川神社の神様の特徴は「願いを一つ必ず叶えてくれる」こと。

何故、一つだけなのかというと、そこには「ある理由」があります。
赤坂氷川神社の神様は古代~現代に至るまで、参拝者の色々な悩みを聞いてきたそうですが、全員の願いを叶えることはしませんでした。
これは神様の手が回らなかったり、眷属の数が足りなかったりといった理由ではありません。

赤坂氷川神社の神様によると、人間は生まれる前に「人生計画」を立てます
分刻みのような細かなスケジュールを決めてくる人もいれば、この年齢で○○を体験する、この時期にこの人と出会うことにする、と大まかにしか決めてこない人もいるそうです。

ですが自分で決めた人生計画も、現世に生まれる時に忘れてしまう仕組み。
そのため何の悪気なく、自分の人生計画を変えるような願掛けをすることがあるのだそうです。
たとえば、前世では家庭内でのトラブルや苦労が絶えなかったため、今世は「一人で生きよう」と計画したとします。

でも、いざ生まれてみたら結婚したくなって、神社で縁結びを願掛け。
こういった場合、神社で縁結びをお願いしても神様は叶えてくれません。神様の勝手な判断で、人生計画を変えてはいけない決まりなのです。
人生計画に関係せずとも、叶えるか否かを慎重に判断しなければならない願掛けもあるそうです。
結果として全ての願いを叶えるわけにはいかず、ある程度は見送らなければなりません。
一方で、願掛けをスルーすることは神様にとっても心苦しい状態。

神様としては「願いを叶えて楽にしてやりたい」が本心なのです。
そこで赤坂氷川神社の神様は、苦肉の策として「願いを一つ必ず叶える」にしているそうです
まとめ
以上、東京都心の赤坂氷川神社を紹介しました。

どうしても叶えてほしい願い事がある方に赤坂氷川神社はピッタリ。
願いが叶うのは今回ではないかもしれませんが、人生のどこかで願いを必ず叶えてくれる神様。
識子さんのお墨付きなので、まだ赤坂氷川神社へ行ったことがない方はぜひ参拝してみてください
なお、本記事で紹介した赤坂氷川神社に関する話は、神仏研究家の桜井識子さんの著書『東京でひっそりスピリチュアル』を参考にしたものです。
詳細が気になる方は本書を読んでみてください。
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